2014年03月07日 囲碁・将棋

囲碁 将棋 麻雀これらを 賭け事として生計を立てている者のことを

真剣師と呼ばれています

イカサマもつき物で 石や駒の隠し持ち 積み込みなどもある

いわゆる 真剣であった由縁です

 

プロ雀士の荒正義 雀聖の異名を持つ小説家 阿佐田哲也は

ともに若かりしとき 真剣士 裏プロとして活躍しています。

囲碁も古くから賭け碁が行われていて

江戸時代の賭け碁士  「阿波の米蔵」こと四宮米蔵は

享保 文政期に 三千両を稼いだといわれています。

大正にはプロ棋士として3段まで行った大阪の堀田忠弘は後に真剣士となり

プロ棋士をたびたび破る活躍をし       「鬼」と呼ばれていました。

 

将棋の真剣士は別名「くすぶり」と呼ばれています。他の競技の真剣と同じく

旦那衆をスポンサーパトロン とし彼らの資金でかけ将棋真剣をしたり

遊戯の稽古代で生計を立てていました。

江戸時代には存在していたと言われています。明治以降も多数の真剣士が現れ

プロ棋士も打つ負かす力のある真剣士も存在していたといわれています。

真剣士 花村源司は 5段でのプロ入りが認められ

後9段にまでなっています、他に 太田学 小池重明 加賀敬冶

平畑善介など早々たる真剣士が現れます、やがて賭け将棋が禁止され

昭和50年代には真剣士はいなくなったと言われています。

 

最後の真剣士太田学

晩年を大阪で過ごし 大阪で亡くなった太田学を取り上げます

横須賀生まれ 鳥取の倉吉育ち 父親は地元の名士 終戦後郷里に帰り

30歳過ぎから将棋を始めたと言われる 超遅咲きです、

修行の末 アマチュア将棋名人戦 鳥取県代表に、。

後 真剣士として全国を旅します、

NHK朝ドラ       「ふたりっ子」の銀じいこと 佐伯銀蔵はこの太田学がモデルです。

最後の真剣士と呼ばれた 大田学 真剣士の廃業を決意その

区切り記念として 第1回朝日アマ名人戦(1977年)に 出場 63歳で優勝を飾ります、

その後は 通天閣近くの将棋道場で 師範として そのレッスン料で生計を立てます

生活ぶりは 通天閣近くの 旅館の3畳一間の和室暮らしでした。

2007年2月21日92歳で 大阪市にて大腸がんにて死去。

 

真剣とは どんなかけ将棋を

 

太田学 昭和30年代 12層の真剣を挑戦されます

12層とは 一局 一万円の賭け金

平手勝負 大田が勝つと大田は一万円、

相手が勝つと相手に12万円が入ると言う ハンディ戦

この勝負を13局行う勝負 かなり強い相手であったが 大田は全勝します。

大田曰く勝つには勝ったが 2層が精一杯の相手 運が良かったと言わしめた 真剣。

この様な 非常に厳しい世界の勝負が 真剣と言わしめる 賭け将棋の世界です。

以上真剣士についてでした。

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