小倉百人一首とは・・・

小倉百人一首は、鎌倉時代の初めごろの歌人・藤原定家が、勅撰和歌集から一歌人につき一首、計百首を選んだ歌集です。
京都・嵯峨の小倉山の麓に定家の山荘があったことから「小倉」の名がついたといわれています。江戸の初めごろ、王朝人の遊び、貝(かい)覆い(おおい)と、欧州から入ってきた「かるた」が融合して、歌かるたとなりました。
明治時代には、競技かるたのルールが統一され、全国に普及しました。

「幻のかるた」尾形光琳筆「小倉百人一首」を職人技で復刻

長い間、幻の百人一首とされてきました、尾形光琳筆「小倉百人一首」が、近年に京都で発見されました。歴史的資料の中にこのかるたの、下絵と思われる画稿が残されていることから、専門家のあいだでは、「光琳かるた」の存在がうわさされ、近年にいたるまで行方が分からず「幻のかるた」と呼ばれていました。このかるたは、一般の百人一首よりも大きく、歌仙絵が描かれた読み札、百枚には上の句が、取り札には、下の句と、花鳥風月が描かれた百枚、計二百枚が、まったく使用された後も無い状態で保存されていました。

この逸品をこのたび京都の老舗が復刻。
印刷は決して変色しない高精細シルクスクリーン印刷をほどこし、合紙し、断裁した後、ベテランの職人が一枚一枚うすい純金色和紙の裏紙で仕上げました。
また百首のうち最初の天智天皇と最後の順徳院の札上下四枚には、光琳の署名(法橋光琳)と落款をそのままに再現いたしました。琳派の巨匠ならではの華麗な美の世界がお手許で長きに渡ってお楽しみいただけることでしょう。

光琳かるた(読み札・取り札)の一部をご紹介

※クリックすると読み札・取り札それぞれの拡大画像をご覧いただけます。


裏貼りの工程(へり返し)
金箔紙を使った裏貼りの工程は極薄の金紙だけに細心の注意と長い経験が必要となり、熟練した職人のみが出来る技といえます。


かるた四枚の裏には光琳の署名と落款
「法橋光琳(ほっきょうこうりん)」
法橋上人の略。画家、芸術家に与えられる仏教界の最高の称号であり、光琳は好んで使っていました。


写真入り解説書
同志社女子大学 吉海直人教授監修による写真入りの詳細な和綴じ本の解説書を添えてお届けします。

光琳かるた開封の様子を写真でご紹介


まずは外観、保護用の紙箱から出すと、このように真田紐に括られた桐箱が出てきます。


桐箱天面のアップです。法橋光琳と箔押しされています。


真田紐をほどいてみました。


紐を解いた状態でアップです。


蓋を外すとこのようになっています。


鳩居堂さんの防虫香です。いい香りがします。


和綴じの解説書です。


解説書の中はこのようになっています。


続いてかるた本体の開封です。かるたは帙に収められています。


帙を開封した状態です。


帙開封状態のアップです。実際はかるたをビニールで保護しています。


取札もこの状態です。


帙をひろげた全体図です。


読札を数枚撮影してみました。女性歌仙の着物が緻密に描かれています。


以上、光琳かるた開封の様子でした。

光琳かるた 金箔紙仕上げ 129,600円(税込)

江戸中期の代表的な画家の一人、琳派の巨匠、尾形光琳が描いた百人一首を再現。
読み札には歌仙絵と歌の上の句が、取り札には草花や歌意に即した絵が金地に朱や群青で鮮やかに描かれています。

読み札、取り札ともに帙に収め、「法橋光琳」の署名を箔押しした桐箱に入れてお届けします。
金箔紙で一枚一枚手貼りで仕上げた、百人一首の最高級品です。

仕様

セット内容
読み札・取り札 各100枚、帙(チツ)箱、桐箱、
写真入り解説書(和綴じ本)、防虫香

材質
かるた=和紙・板紙
(金箔紙裏貼り仕上げ/高精細シルクスクリーン印刷・多色刷り)

サイズ
かるた=縦9.1×横6.3cm 帙箱=縦10×横13.5×高さ8.3cm
桐箱=縦23.2×横16.2×高さ12.3cm
※桐箱の蓋裏には通し番号入りの奥付が貼られています。
(帙等の仕様は予告なく変更することがあります。)

光琳かるた 和紙仕上げ 琳派400年特別仕様版 59,400円(税込)

光琳かるたの豪華さ、華麗さはそのままに和紙で仕上げました。

光琳の美をお楽しみいただけるのはもちろん、金箔紙仕上げの特別版とともに、上の句、下の句一対しかあわないということから縁起物としてお祝いにも重宝されています。

仕様

セット内容
読み札・取り札 各100枚
布張り製紙ケース、桐箱、写真入り解説書(和綴じ本)、防虫香

材質
かるた=和紙・板紙(高精細シルクスクリーン印刷・多色刷り)

サイズ
かるた=縦9.1×横6.3cm 桐箱=縦24.4×横16.9×高さ11.3cm

人物紹介 -尾形光琳-

京都の呉服商「雁金屋」の次男として、万治元年(一六五八年)に生まれた光琳は、少年時代から能楽・茶道・書道に親しみ、家業を継ぐことなく、初め狩野派に絵を学び、後に俵屋宗達の「風神雷神図」や「槙楓図」のような力強い装飾性に満ちた画風に向かうようになり、大胆かつ特異な図柄と華麗な色調で絵を表現する作風をなした。

また多彩な作風の作品を多く輩出し、光琳の卓越した感覚と意匠を有する作者であったことをうかがわせる。弟乾山も画家・陶芸家として知られるようになり、兄弟による陶器の絵付けなども行った。

光琳の多大な功績は、後の琳派として我国の画壇に大きな影響を与えている。彼の代表作「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」は国宝となっている。