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京都大石天狗堂 ニュースブログ

花札の謎シリーズ 2月札『梅に鶯』

カテゴリ: かるた,全般,花札 2014.08.29 6:07 pm

皆さんこんにちは、広報のFです。

 

花札の謎シリーズ2月の高得点札『梅に鶯』について始めていきます。

 

前回の『松に鶴』を読んで頂くとご理解いただけると思いますが、中国からの文化(絵画や陶芸など)が日本に流入し、それを日本人が色々な創意を加え、日本独自の文化にしていった歴史があったのは述べました。

 

なんせ、日本より早くから文化が栄え、日本の法律や装束、建築技術や治水技術も中国の影響を受けて発達してきたのですから、芸術も然りですよね。

 

そんな『中国文化が日本に流入説』から考えていくと、花札の謎も少しは見えてくる気がします。

 

本題の2月札『梅に鶯』も、よく日本では、『鶯ではなくメジロだった説』が言われます。

 

(鶯)=ホーホケキョと鳴き、色は茶色、蛙や虫を食べる。あまり開けた場所に姿を見せず、雑木林などから泣き声だけが聞こえる。

 

(メジロ)=チーチーと鳴き、色は緑色、スズメより小さく、虫も食べるが、梅などの花の蜜を吸う。

枝先にあらわれ、鶯と同じ時期や場所で求愛行動や繁殖行動を行う習性がある。

 

「どう考えても、花札の【梅に鶯】は、メジロでしょう!」

 

と誰しも思いますよね。

 

一般的な日本人の常識だけで考えるとそうです。

いやいや、本当にそうだったかもしれません。

 

しかし、中国では『鶯』と書くとウグイス科の鳥の総称で、黄色い『鶯』別名コウライウグイス(黄鸝、黄鳥ともいう)という種類の鶯もいたそうです。

 

そのコウライウグイスのオスの羽根は黄色、メスは緑がかった黄色だそうです。

 

つまり中国では、梅の樹に羽根は緑がかった緑がかった黄色の(コウライウグイス)がやって来て、綺麗な声で鳴き、春を告げていたのです。

 

まさに、花札のあの絵柄と同じ風景だ!

 

必ずしも、これが真実と言う分けではなく、可能性のはなしです。

 

中国の文化を取り入れて、独自の文化にして来た日本の歴史や、古くから中国には梅の樹と対になるテーマに『梅に鶯』という鉄板画題があり、日本人絵師も模倣していた可能性は大いにあります。

 

日本で常識とされていても、世界からみると実は違う事実もあり、世界中のウグイスが、必ずホーホケキョと鳴くとは限らないし、ウグイスの羽根の色も一つじゃないという事です。

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ただあくまでも筆者の主観ですが、小春日和に梅の樹に小鳥が止まっている風景は、それが【中国の鶯】にしろ、【メジロ】にしろ、【日本の鶯】にしろ、清々しい気持ちにさせてくれる風景ですよね。

 

そしてどこからともなく『ホーホケキョ』と鳴き声が聞こえる様子は、なかなか気持ちが良いし、きっと冬の寒さが残る二月に、少しでも春の訪れを感じさせてくれる光景は、見る人をうれしい気持ちにしてくれた事でしょう。

 

それが茶色い小鳥だったとしても、眩しい春の日差しに目がくらみ、鮮やかな羽根の色に見えたのかもしれませんよ。

 

うわ~、恥ずかしいコメント~。

 

 

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シリーズ一覧

花札の謎シリーズ 5月札!!『杜若に八つ橋』(2013.7.2)

花札の謎シリーズ 7月札『萩に猪』(2013.7.12)

花札の謎シリーズ 赤短『あかよろし?』(2013.8.13)

花札の謎シリーズ 9月札『菊に盃』(2013.9.6)

花札の謎シリーズ 10月札『鹿に紅葉』(2013.10.13)

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花札の謎シリーズ 12月札!!『桐に鳳凰』(2013.11.25)

花札の謎シリーズ 1月札!!『松に鶴』(2014.8.12)

花札の謎シリーズ 3月札『桜に幕』前篇(2014.8.19)

花札の謎シリーズ 2月札!!『梅に鶯』(2014.8.29)

花札の謎シリーズ 3月札『桜に幕』後篇(2014.12.11)

花札の謎シリーズ 『こいこい』って意外とあれなのね(2015.8.28)

花札の謎シリーズ4月札『藤に杜鵑』(ホトトギスと読みます)(2016.3.30)

花札の謎シリーズ6月札『牡丹に蝶』前篇(2016.5.30)

花札の謎シリーズ6月札『牡丹に蝶』後篇(2016.6.3)

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大石天狗堂口伝 第四章

カテゴリ: かるた,全般,花札 2014.08.22 5:24 pm

皆さんこんにちは。広報のFです。

 

大石天狗堂を取り巻く歴史と当店の成り立ち。

 

歴史家でも何でもない筆者が、色々調べながら書くのは、凄く大変ですが面白くて為になる今回のブログ。

 

引き続き始めたいと思います。

 

 

 

さてさて、寛政の改革により、花札が取締りの対象になり、カルタ屋としては大っぴらに仕事が出来ない。

 

 

そこで、必殺仕事人のように表の家業と裏の家業の営業をしておりました(!!!_-)-☆

 

当時 大石天狗堂も表向きは、『湊屋(みなとや)』という名前で米問屋を営み、奥で花札を作っていました(というより米屋の方はカモフラージュ?)

 

しかし作物が不作なのに米屋が営めるのでしょうか。

 

ooishitengudo mukashinogazo⑥

 

しかし、役人の目を欺いていたのですから、米屋は米屋で、上手く経営していたのでしょうね。

 

そうだとすると当時の天狗堂の頭首は、凄い商才ですよね。

【ザ☆二足のワラジ!!】

 

今の世で言うと、表向きはオンライン通販をしながら奥でIOS違法アプリの開発をするようなものでしょうか。

 

なんかありそうな話ですよね。

 

ooishitengudo mukashinogazo⑧

 

その頃の京の町には、40軒以上のかるた屋があり、それぞれ『○○天狗堂』とか『天狗屋○○』といった屋号の看板を上げておりました。

 

これは、当時ご禁制の品を内緒で買いに来た客たちが、『おい、おやじっ! 今日はこれあるかい?』と自分の鼻を人差し指で指します。

 

すると店主が、『ヘイ、ちょっと待っておくれやす』といって奥から花札を持って来る。

といった一種の暗号でした。

 

その鼻が誇張されて看板に天狗が描かれるようになったようです。

 

花札の【はな】=顔の【はな】=天狗の【はな】と、【はな】の三段活用というわけです。

 

でも私が思うに、役人達も『天狗の看板』が掛かっていたら、『あの米問屋は、花札を売っている店かもしれないぞ』と不審に思い監視すると思うのですが、大丈夫だったのでしょうか?

 

それとも、天狗の看板はその当時は、掲げていなかったのでしょうか?

前述したように表向きは米問屋なので、看板も【米問屋 湊屋本店】とデカデカと出し、看板の隅に(大石天狗堂はここ☞)と表示していたのかも。

 

それとも、そのような心配はいらないほど、役人の中にもファンがいて、お目こぼしがあったのかもしれませんね。

『うむ、まあ、なんだ! わしは何も見ておらんぞ!』とか言って、自分用に花札を買ったりしてたのかもしれませんね。

 

 

ooishitengudo mukashinogazo⑦

 

 

 

 

昔から、かるた作りも西陣織などと同じで、色々な職人による分業で作られていました。

 

生地作り、墨版刷り、色刷り、裏紙作り、小断ち、裏貼り、検品、箱入れ、出荷などです。

 

現在、機械化になっている作業もありますが、行われている工程は、おおむね同じような分業で作っています。

 

当時の花札作りには、カルタ職人だけでなく、表具屋(掛け軸の裏の布部分の仕立)の職人や、京雛(ひな人形)の職人など、別の職種の職人もかるた作りの仕事を受けていたようです。

 

それぞれの職人の仕事を経て、最後の仕上げ的な部分が当店の仕事でした。

 

つまり職人への指示から、部材の手配、貼り上がった札の検品、箱入れ、出荷作業、販売などの全ての工程を管理手配する総元締めが大石天狗堂というわけです。

いわゆるプロデューサー?

しかし、明治・昭和の激変の時代、かるたの需要が減り始め、不安に感じた多くの職人たちは、定職を求めカルタ店の社員になりました。

 

沢山の職人を抱えられた大きなカルタ屋(会社)は残りましたが、それ以外の小規模なカルタ屋は、経営を続けられずやめていきました。

 

 

重ねて、カルタ屋に【骨牌税(かるたぜい)】と言う逆風が吹き始める事になるのでした。

 

かるた屋の生き残りをかけた激動の時代!

karutazei syousi

大石天狗堂の命運やいかに!!!!

 

To be continued

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シリーズ一覧

 

大石天狗堂口伝 第一章(2014.1.18)

 

大石天狗堂口伝 第二章(2014.4.11)

 

大石天狗堂口伝 第三章(2014.6.13)

 

大石天狗堂口伝 第四章(2014.8.22)

 

大石天狗堂口伝 第五章(2014.12.19)

 

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花札の謎シリーズ 3月札『桜に幕』前篇

カテゴリ: 花札 2014.08.19 5:06 pm

みなさんこんにちは、広報のFです。

 

花札の謎シリーズも、早くも11回目となりました。

細かな部分の(おかしな所)は、大目に見ていただいて、早速始めましょう!!!

 

 

今回は、『桜に幕』

言わずとしれた、3月札です。

 

この幕、桜の絵と対で描かれる定番中の定番。

 

花札以外にも、ありそうな構図ですよね。

sakuranimakuのコピー

 

実は、明治時代までの3月札の【桜に幕】の絵は、縦縞でした。

その後、横縞になったようです。

 

明治時代、初代総理大臣伊藤博文公が、花札の禁止令廃止を決めたので、花札を製造するお店が急速に増えました。

 

その時、花札のお店として名を馳せていた当店に『花札を作りなさい』(と言ったかはわかりませんが)依頼されました。

 

その時の花札の復刻版が『総理大臣の花かるた』です。

 

そして、沢山の花札の注文に対応する為に、花札づくりに欠かせない版木を簡素化しました。

 

そもそも版木とは、(1色=版木1枚)という版画のルール上、色数が多く細かな絵柄ほど版木の枚数も多くなり、仕上がりの正確さや美しさなど職人の技術を要しました。

 

少しでもズレたら商品としてアウトですからね!

 

それまでの花札の絵柄は多くの色を押し重ね、複雑で美しい色を表現していたようです。

また、右側だけ色がしっかり付着し、左側は薄いとダメですよね。

筆者もハンコなどを押す際、押してみたら偏った付着の仕方に慌てる事があります。

 

熟練の職人が色を付けるとムラのない、何枚刷っても同じ仕上がりになるといいます。

その難しい部分を、簡素化(版木の枚数減)した事で、熟練の職人でなくても多くの表紙(おもてがみ 印刷済の紙)を短時間で量産できるようになりました。

 

花札が普及する大きな要因になったわけですね。

 

 

 

 

筆者が色々と調べましたが、中国から渡来した図案や不老長寿を願ったありがたい図案が『桜に幕』の絵柄の元になったという説は、見受けられませんでした。

 

さらによく調べましたら、明治時代前の【桜に幕】には、幕の縦縞の中に文様が…。

 

菊花紋や菱紋など、まるで有職文様(ゆうそくもんよう:平安時代から続く位の高い文様で、宮中の衣装や輿などに使われている)が描かれているように見えました。

 

そして気になるのが、幕の右端に【二匹の細長い虫が縦に並んでいる絵柄】があった事です。

 

『な、何、これ?』

 

 

武田家のムカデ陣立ようでもあるが、あれはもっとクネクネとした図案でしたし、でも頭の先に触覚らしきものがあるのは、やはり虫系のようでもあり…。

 

『わかりません!』

 

御存じの方がいらっしゃれば御教授下さい。

何も出ませんけど。

 

 

 

ただ、この3月の【桜に幕】、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)の松、梅、桜から取った説も存在しますし、明治時代以前の幕に有職文様(らしきもの)が描かれていた事で、考案した人の、この絵柄に対するイメージが『高貴』『風雅』『気品』などの位の高い人々の宴などをイメージしていたのではないかと推察します。

 

しかし換骨奪胎(かんこつだったい:他人の作品や着想をアレンジし新しい物を生み出すこと)の得意な日本人が、元々何かの構図をアレンジした可能性は捨てきれません。

 

この『桜に幕』、凄く謎の多い絵柄です。

次回に続きます。

 

 

 

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花札の謎シリーズ  1月札『松に鶴』

カテゴリ: かるた,全般,花札 2014.08.12 1:25 pm

皆さんこんにちは。広報のFです。

 

去年から休んでいました『花札の謎』シリーズです。

久しぶりというか、まだすべての札をやっていなっかたのかと言われそうな、のんびりシリーズです。

 

今回は、一月の高得点札【松に鶴】です。

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しかし、鶴が樹にとまった絵が使われていますが、鶴は湿原や平地などに生息する鳥で、樹にとまる事はないそうです。

 

この事から樹にとまっているのは、コウノトリを鶴と見間違えたとの説もあります。

 

『じゃあ花札の1月の札は、松に鶴じゃなく松にコウノトリ?』と考えてしまいそうですが、さにあらん。

 

これは、中国が関係しています。

 

中国で鶴は、鳥類の中で第一の位とされ『一品鳥』という別名もあるほどの高貴な鳥です。

 

鶴の羽根が白い事から、人間の長寿者とかけて、【不老長寿】を表す仙鳥として、中国では亀、松、と並んで好まれる慶事の鳥です。

 

よく『鶴は千年、亀は万年』と言いますが、これも実際、千年も鶴が生きる訳ではなく、この中国の思想から来ています。

 

そして、この一品鳥をテーマに色々な絵が描かれ、芸術作品が生まれました。

 

鶴が波の打ち寄せる岩の上に立つ姿を描いた『一品当朝(いっぽんとうちょう と読みます)』=出世を表し非常にめでたい絵です。

 

白鶴が雲間を優美に飛翔する姿をあらわした『雲中白鶴(うんちゅうはっかく と読みます)』=高潔な人物のたとえで用いられます。

 

高潔とは、俗事に染まらず、私利私欲で物事を判断したりしない事であり、高潔な人とは上記のような事に惑わされない人物です。

(う~ん。俗人の筆者は耳が痛い)

 

そして、花札の『松に鶴』のモチーフになった確率の高い中国の絵『松鶴長春(しょうかくちょうしゅん)』『松鶴遐齢(しょうかくかくれい)』と言われる絵です。

 

これは、二羽の鶴が松の樹にたたずむ姿(一羽の絵もあります)

 

長春とは、長春花(ちょうしゅんか)=庚申薔薇(こうしんばら)の事で、一年のうちに何度も花を付ける常緑樹で、たびたび花が来ることから、人生でもピークが何度も来るような意味で中国でも好まれる樹です。

 

松&鶴&庚申薔薇と、縁起の良い物で揃えた絵画が、中国 そして日本でも好まれたようです。

 

遐齢(かれい とも読む)=長生き、長寿不老の意味です。

 

やはり人間 長く生きると何かしら一芸に長けたり、人より物知りになったりと、良い事が多く楽しみも増えますので、祈願する気持も強くなるのでしょうね。

 

花札の絵柄が、信長・秀吉の時代から明治にかけて色々な経緯から変遷していきました。

 

江戸時代中期から、絵画の世界では模倣の時代が続き、新しいモチーフを探す事も少なくなり、すでに完成されたテーマの物を、自分の作風によって個性を出しながら描く絵師が多かったようです。

 

中国から流入したこれらの新しいモチーフに、日本人は最上の価値を見出し、次々と構図やモチーフの似た絵が生み出されていきました。

 

そのような時代の中で、花札の絵柄にも使われるようになったのではないでしょうか。

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縁起物を好むのは、中国人も日本人も同じだったという事ですね。

 

ですから実際の風景ではないので『松の樹に鶴は止まれないので、おかしな絵』というのは、それこそおかしな評価で、『松鶴遐齢』などの縁起の良い絵を参考に描かれたアートを参考に花札は作られたと考えれば、納得がいきますよね。

 

大聖堂の天井壁画や、建仁寺の龍の襖絵などと同じ『イメージ上の絵』『概念の絵』という事です。

(実際に私はこの目で見たという人がいらっしゃったら、それは大変失礼致しました)

 

上記の事から考えると、1月に花が咲かない松が花札の最初の絵なのは、合点がいきますよね。

 

松の樹も日本では古来縁起の良い樹で、冬でも緑の葉が生い茂る事から、(またまた)『不老長寿』の象徴として愛用されてきました。

 

実用性も高く、可燃性が高い事から一般家庭では、風呂釜の着火剤、陶芸家は窯の燃料に欠かせないと使い、第二次大戦中には、航空機の燃料として検討されたほどです。

 

食品としても重宝され、松の葉の成分を使った飲み物、飴、菓子、健康食品、ワインや紅茶などもあるようです。

 

戦国時代、籠城戦に備え、松の皮や実が食用になるという事で、城の庭に松が植えられました。

 

歴史的にも太古の時代から存在する種で、(生物)でいうと人間より古くから地球上に存在する大先輩の生き物です。

 

こう見ると、松ってすごくありがたい樹だったのですね。

 

『ありがたや、ありがたや~』

 

では次回の『花札の謎シリーズ』は、当然 【梅に鶯】です。

 

どうぞ、お楽しみに~。

 

 

 

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黒田官兵衛と碁と将棋

カテゴリ: 囲碁・将棋 2014.08.07 5:47 pm

【黒田官兵衛】と【囲碁&将棋】

現在、放送されている大河ドラマ軍師官兵衛も後半戦に突入です。

この官兵衛と囲碁には、あるエピソードがありました。

 

秀吉の始めた文禄の役(朝鮮出兵)は、黒田官兵衛が予想した通り、明が南下し、戦況が激化してきました。

豊前で静養中の官兵衛に秀吉は命じ、文禄2年(1593年)2月に再度朝鮮に渡ります。

秀吉の命は、『せめて南朝鮮の領有くらいははっきりさせて来い!』という具体的なものでした。

官兵衛は現地に着き、そのことを伝えたかったのですが、各奉行、各隊長がそれぞれの思惑で動いていたため、秀吉の意を伝えるだけでもかなりの日数がかかってしまいました。

官兵衛は意欲を削がれ、同行していた浅野長政と囲碁を始めます。

 

そこに、石田三成、増田長盛、大谷吉継の三奉行がやってきました。

官兵衛にとってその面々は、日頃から気に入らぬ面々だったので、構わず囲碁を打ち続けます。

 

ドラマの中では、急用ではないのでまた出直すと三成らがいった為、話をしなかったと官兵衛は言っていました。

 

しかし無視された事に石田三成が怒り、あまりに無礼と、名護屋の秀吉に使いを立てました。

 

秀吉の返答は、「官兵衛は人を人と思わぬことで軍師が務まっているようなものだ。あとでよく咎めておく」というもので、今回は堪忍してやれというものでした。

ドラマの中では、三成のこの二枚舌の為、危うく命の危険にさらされた官兵衛でした。

 

これまでの官兵衛の働きを考えれば、さすがに囲碁くらいでは首は刎ねらないのでした。

やがて、明との停戦協定が一旦結ばれ、文禄の役は終結しました。

 

【官兵衛の出家】

文禄2年(1593年)8月、官兵衛は出家し、「如水」の号を授けられ仏門に入りました。

出家後の号をとった黒田如水(くろだじょすい)の名も、黒田官兵衛と同じくらい広く知られています。

文禄2年(1593年)6月、宇喜多秀家が率いる4万2000の軍勢が「もくそ城(晋州城)」を囲み、黒田長政・加藤清正の活躍により、もくそ城(晋州城)を攻め落としました。

日本軍が「もくそ城(晋州城)」を攻め落とした後、黒田官兵衛は石田三成ら三奉行が豊臣秀吉に囲碁の一件を讒訴していたことを知り、豊臣秀吉の許しを得ずに帰国し、豊臣秀吉に面会を求めた。

しかし、豊臣秀吉は明の勅使が来ないことに大いに怒っていたので、豊臣秀吉は黒田官兵衛が無断帰国したことに激怒、登城を指し止めと切腹を言い渡します。

これに驚いた黒田官兵衛は、出家して剃髪し、「如水円清」と名乗り、蟄居謹慎して、正式に切腹の命令が下るのを待った。

如水円清とは、「水は方円の器に随ふ」「身は褒貶毀誉(ほうへんきよ)の間にあるも、心は水の如く清し」という古語から取ったものである。

 

さて、切腹を覚悟した黒田如水(官兵衛)は、遺書を書き、、遺書を朝鮮に居る黒田長政の元に届けさせました。

 

黒田如水は蟄居謹慎していたが、遺書を受け取って驚いた黒田長政が父・黒田如水に変って豊臣秀吉に申し開きをしたため、豊臣秀吉は黒田長政の功績に免じて黒田如水を許し、黒田如水は切腹は免れた。

ドラマの中では、小早川隆景や福島正則や、茶々こと淀の方までが、官兵衛の助命嘆願書を秀吉に送っていました。

 

このとき、黒田長政は父・黒田如水を切腹の危機に追いやった石田三成ら三奉行を激しく恨み、後々まで遺恨を残しました。

 

さて、黒田如水は処分を免れたが、大友義統・島津忠辰・波多親(はたちかし)の3人は、朝鮮出兵(文禄の役)で臆病を働いたため、領土没収の処分を受けていました。

大友義統は小西行長を助けずに敵前逃亡した為、「朝鮮の卑怯者」と言われ、領土の豊後を没収されます。

石田三成は黒田如水と仲が悪かったが、後に関ヶ原の乱(関ヶ原の戦)を起こす時の為に、黒田長政に「我と和睦すれば、豊臣秀吉に言って豊後を拝領できるようにしよう」と持ちかけた。

しかし、黒田長政は「大国を得られるとしても、父・黒田如水と仲の悪い人(石田三成)と和睦することは本意にあらず。大国を得たとしても、父の心を失うのは不孝の至りなり」と言い、石田三成との和睦を拒否したのであった。

黒田官兵衛が囲碁事件を起こしたのは文禄2年(1593年)、黒田官兵衛が48歳、黒田長政が26歳の事であった。

 

 

将棋の戦い”の如し官兵衛の戦術

 

戦いには大きく分けて城攻めと野戦。

官兵衛の戦いぶりを見てみると 城攻めでは、まず説得工作、相手が応じない時に初めて攻撃する。

その場合でも四方のうち一方を開けておき、逃げ口を設ける。

 

城全体を囲み、敵の逃げ場をなくすと全力で戦いを挑んできて、敵味方 多くの犠牲者がでるからである。

これは孫子の兵法「囲師必闕((いしひっけつ)」である。

相手を全滅させるのではなく、敵将を降参、逃亡させ、味方の戦力の消耗を抑えて戦いを終え、次に備える。

 

播磨の佐用城攻め、明智方との山崎の勝龍寺城攻めで「囲師必闕」を用い、敵の兵を逃がし落城させます。

また、城を周りから威嚇、兵糧攻め、水攻めを行ったりして圧力を加え降伏を勧める。

四国の岩倉城攻めでは、材木を高く組みその上に大鉄砲を据えて城中に打ち込み、また鬨(かちどき)の声をあげて威嚇 降伏に追い込んだ。

ご存知のように 備中高松城は周囲を沼に囲まれ難攻不落であったが、堤防を築き水を引き入れて水攻めにより落城させます。

このような攻めは日数と費用がかかるが、味方の犠牲は少なくなる そして官兵衛は敵方の兵を次戦で味方として使います。

命を救われた兵は、官兵衛の元 喜んで働きます。

次第に軍勢が大きく強くなっていきます。

敵将打ち取り、とった駒(兵)を味方として使うと言う点は、正に将棋の戦術と言うべき戦いぶりです。

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幻の百人一首 光琳かるた!

カテゴリ: かるた,全般 2014.08.01 5:42 pm

皆さんこんにちは。広報のFです。

またまた、よろしくお願い致します。

 

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さてさて 京都の名所・旧跡は星の数ほどありますが、忘れてはいけないのが『妙見寺塔頭・泉妙院(興善院旧跡)』とういう場所。

 

ここは、当店自慢のかるた【光琳かるた】の生みの親 (尾形光琳)その弟(尾形乾山)が眠る菩提所です。

 

kourin(2)

 

中に入る事は出来ませんが、すぐ近くに表千家の不審庵や、裏千家の今日庵があり、静かな街並みで都会の喧騒を忘れさせてくれます。

 

周りには、茶道に縁のあるお店、茶器や野点の番傘などのお店もあり、京都の風情を感じさせてくれます。

 

 

京都文化を語る際に欠かせないお茶や書画、生け花やお香は、日本の文化の象徴的存在でもあります。

 

そんな日本文化の中心と呼んで相応しいこの地に、菩提所がある尾形家とは、どのような家系だったのでしょうか。

 

以前に書いたブログで、1658年 京都の大呉服商『雁金屋』の次男に生まれた事はすでに書きました。

 

光琳の祖先は、室町幕府15代将軍、足利義秋(義昭)に使える上級武士【尾形伊春】だったという説もあります。

 

今年 放送中の大河ドラマ『軍師官兵衛』に登場するおもろい将軍(吹越満さんが演じています)が義昭公です。

 

その伊春の子供【尾形道柏】が染色業を始め、後の大呉服商『雁金屋』の礎を気づきました。妻に本阿弥光悦の姉を娶り、姻戚関係になった事で、さらに盛んに上流階級の顧客と商いをする事になりました。

 

道柏の子【尾形宗柏】の頃には、茶々(淀殿)、北政所寧々(高台院)、徳川家康、徳川秀忠、お江(秀忠正室)などと取引し、後水尾天皇中宮の御用向きまで商うようになりました。

 

宗柏の子【尾形宗謙】も雁金屋を商いながら、書画を嗜む風流人で父宗柏が上流階級の人々と親しくしていたのを目の当たりに成長し大商人になっていたのでしょう。

 

そしてそんな風流人・宗謙の次男として生まれたのが【尾形光琳】、三男【尾形乾山】でした。

 

つまり、代々上流階級に交わり、芸術や古典文学に親しみ、その一方では呉服商で大成功した家柄だったのです。

 

時代によって物価は変りますが、一時期 年間5千両(1両=5万~10万円換算として、2億5千万~5億円)以上の商いをしていた豪商でした。

 

来年は、そんな尾形光琳、そして本阿弥光悦も含めた琳派の方々の大切な年なのです。

 

尾形光琳が亡くなって来年2015年は300回忌。

 

そして本阿弥光悦が徳川家康から鷹峯の地を拝領した1615年から400年。

 

つまり来年2015年は【琳派の年】なのです。

 

更に、11月1日は【古典の日】(2012年9月5日法制化)でもあり、2014年~2016年の間は、かなり琳派ブームが巻き起こるでしょう。

 

各地の美術館、博物館でイベントが催され、古事にならった体験やツアー旅行も企画される事は確実です。

 

大石天狗堂が世界に誇る看板商品『尾形光琳の幻の百人一首 完全復刻版』などは、この時期に売らなくていつ売るのという位、ど真ん中直球商品です。

 

百人一首の字札は、文字通り字しかないのが普通ですが、光琳かるたは字札にも花鳥風月が描かれ、当然【たらし込み】の技法や、【光琳波】などが使われています。

しかも、百人一首ですから当然 読札(絵札)100枚、取札(字札)100枚あります。

 

つまり、日本が誇る巨匠の描いた絵画(200枚)を一度に堪能できる特別セットのような物です。

 

絵でだけではありません。

 

書も光琳直筆を復元していますから、草書体の読める方なら、一度はご覧になってみて下さい。

光琳独特の書体に、絵と同様に感動を覚える事間違いないでしょう。

 

尾形光琳の作品の複製品はこの世の中に沢山販売されている事でしょう。

例えば有名な『紅梅白梅図屏風』なども、実際屏風が売られているかもしれませんが、置くスペースの関係で『欲しいけど、そんなに大きなお屋敷じゃないしなあ…』とあきらめ、代わりに写真集や、ポスターなどを購入されるでしょう。

しかし、この当店製造する光琳かるたは、本物を元に大きさなども完全復刻していますので、その一点だけみてもお値打ち品です。

 

是非、お手に取ってお確かめ下さい。その素晴らしさ必見です!!!!

 

尾形光琳の幻のかるた『光琳かるた』の秘密

尾形光琳作『光琳かるた』の秘密

 

尾形光琳作 幻の百人一首『光琳かるた』 購入ページはこちら

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